女子高生コンクリート詰め殺人事件の全て。犯人達の現在が畜生すぎ…


午後10時ころ、Aは自宅に戻っていたCに電話をかけると、そこにはBの他にDがいたが、Aはこの3人を外に呼び出した。

その後、4人の少年たちは東京都足立区綾瀬のCの自宅の2階のたまり場に順子を連れ込んだ。

この日、Cの父親は3日間の社員旅行で沖縄に出掛けたため、自宅には母親とCのひとつ上の兄がいた。

11月28日、Aが「いいモノを見せてやる」と言って呼び出されたE(当時17歳)とF(当時16歳)が加わって、家人が寝静まった深夜に順子を輪姦した。

順子は必死の思いで抵抗した。

階下の母親は目を覚ましたようであったが、寝具などで顔面を押さえつけられたため、叫び声を上げることはできなかった。

その後、昼夜の別なく、順子の体を弄び、そのあまりの暴行に、順子が気を失うと、バケツの水に頭を漬けて気を取り戻させて、また犯すということを繰り返していた。
その間、交代で見張りを続けた。

12月初めの午後4時ころ、、順子は少年たちが夜遊びで昼寝をしていた隙を見て、2階から1階の居間に降りてきて110番に電話した。

だが、運悪く、近くで寝ていたAに気づかれてしまった。

すぐに逆探知で警察からかかってきた電話に、Aが出て「なんでもない。間違いです」と返事した。

AとBは、このことをきっかけとして、順子に対し、手荒いリンチを加えた。

殴ったり、蹴ったり、手足の甲にライターの火を押し付けたりして火傷を負わせた。

また、シンナーを吸わせたり、ウィスキーや焼酎を飲ませて楽しんでいた。

その後も監禁と暴行の日々は続いた。

1989年1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、自力では立てなくなりほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって殴る蹴る、足をライターオイルで焼く、鉄の棒で殴るなどのリンチを加え放置しその結果、順子は死亡した。

翌日、被害者の死亡に気づき死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。

同年3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の加害者の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。


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犯人と家族の現在

これほどの犯罪を犯したにもかかわらず、この元少年共は現在社会に出てのうのうと暮らしています。

少年法というおかしな縛りの元に実名も顔写真も当時は隠されていました。

しかし、週刊文春などは当時でも少年たちを実名で報道していました。

「鬼畜共に人権は必要無い」という編集部の判断に因るためです。

現在、ネットでも彼らの履歴がかなり公開されています。

宮野 裕史(A)(1970.04.30)

主犯格。
懲役20年の刑。すでに刑務所から出所

2013年に振り込め詐欺容疑で逮捕されていました。(その後不起訴処分)

・父親(当時47歳)…証券マンを経て証券外務員に。
・母親(当時47歳)…私大音楽学部卒業後、ピアノ教室の講師に。
・妹…事件当時11歳
事件後、両親ともに辞職。

小倉 譲(B)(1971.05.11)

出所後は神作譲に改名。
すでに刑務所から出所。
出所後に同じような犯罪を犯し、逮捕されている。

・父親(当時42歳)…運送会社の配達員。長身。
愛人との間に2人の子供がいるが、母親との籍はなぜかそのまま。
・母親(当時43歳)…都内デパート勤務を経て、結婚後は得意だった洋裁で内職。
父親が女に走り別居。その後水商売にて一家の大黒柱に。
・姉(当時20歳)…私立高校卒業後、都内会社員。

湊 伸治(C) (1972.12.16)

犯行現場の部屋の提供者。
すでに刑務所から出所。

出所後はムエタイ選手としてデビューし、綾瀬のタイ料理屋で試合していた。
当然の事ながら味方は少なく、入場するたびに彼を快く思わない観客からブーイングを浴びせられていた。
選手としてはそこそこの実力だったが、大した戦績も上げられないまま引退した。
ちなみに観客に「コンクリ」というあだ名で呼ばれていた


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