「福島県民お断り」という女子中学生が書いた作文。共感と批判が殺到

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同じ日本人なのに、どうして福島県から来ただけで、このようなひどい言葉をかけられなければならないのでしょうか。私が育った町や人が否定されるならば、私の今までの人生までも否定されている気がしました。

震災で避難生活を送っている時、周りの視線が「福島県民だ」と言っているかのようでとても気になっていたといいます。

小学5年生の時、宮城県女川町に引っ越した門馬さん一家。また「福島県民だ」と偏見を持たれるのではと危惧したそうですが・・・

自己紹介を終えて指定された席に着くと、周りは男の子達でした。するとその中の一人が、私に「福島から来たんでしょ?」と聞いてきました。私はその質問にひどく動揺し、この後何か言われるのだろうかと思いました。

しかし、聞こえてきたのは私の想像するものではなく「大変だったね」という気づかいの言葉でした。他の子達も「友達にならない?」「一緒に遊ぼう」などど、とても優しく接してくれました。

女川町もまた東日本大震災の津波で大きな被害を被った土地。家を失ったばかりではなく、家族や親戚、友達を失った人も少なくないのに明るく振る舞う女川の人たち。

同時に、苦しい思いをしているのは自分だとばかり主張して、ふさぎ込んでいたのが「なんだ、この人達の方が辛かったんじゃないか」と思い、自分が情けなくなりました。女川町の人達は本当に強い人ばかりで、何度も助けられました。

自分の気持ちをあらわすことが苦手になっていた門馬さんは、女川の人たちの力強さに助けられ、変わっていったそうです。

そしてこれまで経験してきた「偏見」と「共感」から得たことを次のようにまとめています。

「偏見」とは、自分の勝手なものさしで周りのものを判断することです。相手の気持ちを無視した、とても自分勝手な行動だと思います。

皆さんは、人と関わる時、偏見をもって接することはないでしょうか。「あの人はテストの点数が悪いから頭が悪い」や「あの人は口数が少ない人だから暗い人だ」など、ちょっとした偏見で他人を見ることは誰にでもあることだと思います。

しかし、その偏見が無意識のうちに人を傷つけるということを忘れてはならないと思います。

逆に「共感」とは、相手のことを思いやり、相手の立場に立って行動することです。私が女川に来てから、私の心に寄り添ってくれた友人たち。私の痛みを自分の痛みとして捉え共に乗り越えようとしてくれたことにとても感謝しています。

だからこそ、自分もまた、傷ついている人がいたら共感し、手を差し伸べることのできる人間になりたいと思うようになりました。私は将来、自分を救ってくれた人達のように、苦しむ人の小さな助けになりたいです。

この作文は「多くの人に読んで貰いたい」とSNSで拡散されています。多くの人がこの作文に共感するとともに、震災当時に「福島県民お断り」を実際に見たという人や、熊本地震の件でまだ偏見が残っていることを悲しむ声が聞かれました。


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