和久指導員の名前を呼びながら敬礼するファンの姿も見られたという。
チャンスをもらったのはいかりやさんのおかげ
高校生の頃、卒業間際の1968年2月に
いかりやの家へ直接押しかけ、雪の降る中、
いかりや本人が夜中に帰ってくるまで12時間ほど待ち続け、
弟子入りを懇願した。
1週間後にいかりやから弟子入りを認められ、
ドリフの付き人となった。
ちなみに、一度脱走しており、弟子入りは二度経験したそうで
二度目の弟子入りの際は一層厳しく接し、
彼を超一流に引き上げた。
志村けんにとっていかりや長介は何人にも代えがたい恩人だった。
いかりや長介さんの葬式に話を戻そう。