菊間千乃元アナが生放送で転落事故後、弁護士に転身した理由

国内ニュース


菊間千乃元アナの伝説の転落事故の後…弁護士に転身した理由はフジテレビのありえない仕打ちにあった?!これはありえない・・・。

菊間千乃元アナの伝説の転落事故

1998年9月2日、生放送で起きてはいけない事故が発生しました。

 

当時めざましテレビでアナウンサーを勤めていた菊間千乃さんが安全装置を使用してビルから飛び降り、その製品のリポートをしようとしたものだったのですが、装置は作動することなく安全マットへと叩きつけられてしまいます。

製品の関係者の方からは「これでもう大丈夫です」と言われた後、菊間千乃は飛び降りていました。事故直後、体を強打した菊間元アナは起き上がることができず、蓋を空けてみれば腰椎圧迫骨折で全治三ヶ月の重症を負い、リハビリも含めて完全回復まで1年かかるという大事故になったのです。

菊間千乃落胆か!?アナウンサーも会社の1つの駒

2016年6月に大阪市内で開催されたWOMAN EXPOのトークショーにて菊間元アナはこのように語っています。

「ICUで10日間の治療を終え、テレビを見ると、自分の出ていた番組にもう他のアナウンサーが出ていた。自分にしかできない仕事だと思っていたが、(アナウンサーも会社にとっては)1つの駒なんだと思った」

菊間千乃にとって体を張ってまで勤めていた仕事でも、会社は自分が使えなくなったらすぐに次の担当をあてがうなど、残酷な仕打ちともとれる行動に出てしまいます。このことを知った時、菊間千乃はまだICUの治療を終えたばかりだったのですから相当ショックだったことと想像できます。

しかし…会社側からすれば、空いてしまった穴を早急に埋めなければいけなかったのも、当然のことだったかもしれません。菊間千乃はこの出来事がきっかけとなり「仕事のために人生をすり減らすのがばからしくなった。今は1日1日、悔いなく生きなくちゃと思っている」と人生の分岐点になったことを語っています。

菊間千乃元アナの現在は弁護士に転身

テレビ局への入社当初から女子アナの寿命は35才までと聞かされていた菊間千乃元アナ。40才を過ぎてたらは報道記者として活動していく計画も立てていたそうですが、2005年には大宮法科大学院大学に入学し2007年には司法試験に集中するためにテレビ局を退社2010年には司法試験に合格し、その後は弁護士に転身しています。

菊間 千乃さん(@kikuma_yukino)がシェアした投稿

その後トークショーのゲストとして登場した菊間千乃は来場者に向けて「10年後になりたい自分を具体的に考えて」と熱いメッセージを送ったそうです。

菊間千乃に対するネットでの反応は??

・外れちゃったのかなぁ〜〜♪ じゃねぇよww

・アナウンサーに実験させるとかおかしいだろ

・ただやっぱ勉強は出来るんだな 、頭いいって羨ましいわ

ミヤネ屋で放送事故。川田裕美アナが紙で必死に隠したモノが話題関する記事はコチラ

菊間千乃から学びたい!!あえて休むのも計画のうち

菊間千乃は司法試験の1回目の試験の後、合格発表までの間・3ヶ月間の間、休みを取ることにしたそうです。その理由は「走り続けてきた自分を一度休ませる為」でした。万が一、不合格だった場合、2年目も勉強しなければならなかったことから、その為の休息とも考えていたようです。

多くの人は休まなければならない状況まで追い込まれないと、中々3ヶ月という長期の休みを取ることができないのではないか…と思います。しかし菊間千乃は「休むこともスケジュールの1つ」と考えonとoffを自由自在に操ってしまうのです。

これこそ一流の人の考え方なのではないでしょうか。普通の人は、休める時まで全力疾走、休みに入ってからやっと次のことが考えられるといった感じですよね。

計画通りにいかなかった時の強さが菊間千乃の真骨頂!!

菊間千乃のお父様はバレーボールの名門・八王子実践高等学校女子バレーボール部の元監督・菊間崇祠です。菊間千乃はこの厳しくも温かいお父様から、目標を立てて実行する大切さを教えられたと言います。

「バレー部が練習している体育館に行くと、いつも父が生徒さんに同じことを言っていたんです。『努力なくして成功なし』『練習あってこその勝利』って。それを聞いて育った影響は大きいですね」

計画を立てて実行する…ここまでならば、同じように実行している人も少なくありません。菊間千乃の真骨頂…それは計画が計画通りに行かない、実行できなかった時…その一歩先で見せる彼女の強さだったのです。

普通、せっかく計画したことが上手くいかなくなると、焦ったりイライラしてしまって…、人によっては内にこもってしまう人もいますよね。こうなるのが当たり前だと思うのですが、菊間千乃の場合は、

すぐに軌道修正をイメージ複数の選択をシュミレーションし始めるというのです。司法試験の勉強をスタートした時も、まだアナウンサーを続けていた菊間千乃。「今は2足の草鞋の方がいい」そう思えば、そうしてみる。でも、司法試験の合格率が低いと分かれば、

アナウンサーを辞めて、家も学校の近くへ引っ越し!!全力で試験に取り組み始めるのです。この「軌道修正の的確さ」が菊間千乃の真骨頂であり、彼女の生きる強さ、誰もが参考にできる彼女の凄さなのです。

菊間千乃流!!大きな挫折は振り返る絶好の機会

菊間千乃は小学生の頃から「早稲田大学に入ること」そして「アナウンサーになること」を夢見ていました。結局、菊間千乃は両方とも実現、早稲田大学を卒業し、イギリス留学経験を活かしてフジテレビにアナウンサーとして入社するのです。

naomiさん(@mymelody7031987)がシェアした投稿

までは全ての夢が叶っていた菊間千乃でしたが、入社3年目のある日、彼女は慣れていた担当番組のロケ中、ビルの5階から落ち、腰椎を骨折、入院することになりました。これだけ聞けば、「どうせすぐに復帰できる怪我だったのでしょ?」と思うかもしれません。

しかし、菊間千乃の怪我は、あとほんの少し打ちどころが悪ければ、一生車椅子という生活となっていたのです。彼女はその時のことを、このようにコメントしています。

ベッドに固定された状態でテレビを見ていると、深刻な事故を報道するコメンテーターの「心が痛みます」という言葉にも「本心で言っているのかな」と疑ってしまうようになる。

多くの人が菊間千乃のように現場へ復帰することをせずに、フジテレビを辞めてしまうかもしれません。もしくは、「今後中継という仕事をするのが怖いから、異動させて欲しい」と願い出るかもしれません。しかし菊間千乃はこう考えたのです。

「現場に復帰した時、自分に何ができるだろうか」と思うようになりました。そして自分の仕事を振り返り、「時間や進行に気を取られ過ぎていたことは、なかっただろうか」「アナウンサーは物事を冷静に伝えるだけではなく、取り上げている話題に対して、視聴者がどう感じているのかを考え、自分の気持ちを自分の言葉で伝える必要があるんじゃないだろうか」と考えたんです。

収まりのいい言葉ばかり並べても、視聴者の共感は得られない。復帰する時には感情を素直に伝えられるようになろう。そんな目標を持って、復帰しました。深刻な事故でしたが、これがなければ目標や計画だけが先行し、反省する機会は得られなかったかもしれません。早い段階でのキャリアの中断は、結果的に幸運だったと思います。

菊間千乃は事故に合うまで、全ての夢を叶えた成功者でした。一度も挫折したことのない勝ち組だったはずです。失敗を経験したことのないお嬢様…普通なら事故にあったことで挫折してしまう、そう想像する人も少なくないと思います。

でも菊間千乃は「目標や計画だけが先行し、反省する機会は得られなかった」と、自分のことを完全に客観視し、冷静に自分の状況を受け止めていたのです。悔しい気持ちをバネにするとか、いくらでも変わりがいるとでも言っているようなテレビ局を恨むことではなく、

自分の状況を冷静に受け止めて、次の絶好のチャンスを手に入れようと…自分の人生をきちんと背負いながら一生懸命に努力したのです。これができる人はそう多くはないはずです。これから私は菊間千乃という生き方を是非参考にして行きたいと思います。