売春婦だけど一途な女でもあった。野村沙知代の幸せな人生

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亡くなる前日まで野村克也とホテルディナーを楽しんだ野村沙知代。彼女はかつて売春婦だった過去があるのだとか…、その真相や野村沙知代という1人の女性の人生に迫ります。

売春婦もした野村沙知代の幸せな人生!亡くなる前日もホテルディナー

野村沙知代の自宅は都内でも有数の閑静な住宅地、東京・田園調布にあります。亡くなる前日は、そこから車で30分ちょっとのところにある赤坂の一流ホテルホテルニューオータニ」のロビィフロアカフェレストランで旦那である野村克也夕食をとっていたそうです。

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亡くなる前日が豪華な夕飯で良かった…と思いきや、野村夫妻は毎晩のようにこのレストランを訪れていたそう。夫婦の指定席は広いホールの1番奥、2人がいつものソファに腰を降ろすと、オーダーしなくても、アイスカフェオレとホットコーヒーが運ばれてきていたんだそうです。

売春婦だったけど何か?野村沙知代が掴んだ慈しむ夫婦の時間

生前はあれだけ言いたいことを言って、毒舌を吐きまくっていた野村沙知代ですが、この世を去る時の彼女はあまりにもあっけなく、そして苦しむことなく幸せに旅立って行ったのです。

亡くなる前日、野村夫妻はいつものようにホテルニューオータニのレストランで食事をしていました。知り合って45年、2人の会話は普段通り弾んではいませんでした。

レストランの関係者によると、2人は滅多に笑顔を見せなかったと言っています。しかし、それでも、いつもの夫婦のテーブルには、

老いてなお、慈しむように過ごしたふたりの時間が、深く沁み込んでいたそうです。

最後の野村夫妻の姿には、多くの女性、そして多くの男性が憧れる姿がそこにありました。毎晩夕食がホテルディナーだったなんて、これぞまさに憧れの生活ですよね。「老後はこんな風に過ごしたい」そう思う方は数え切れない程たくさんいるはずです。

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売春婦でも幸せだった、苦しまずに去った野村沙知代の最後

その日、旦那の野村克也が目覚めたのは昼過ぎだったそうです。隣のベッドで休んでいた野村沙知代は、

「左手を出して。手を握って」と声をかけた。「そんなことを言うなんて、珍しいな」と笑いながら克也さんがそっと手を握る。

それから2人はダイニングへと向かい、食事を取ろうと席につき、野村沙知代はたった一口だけ手をつけたところで、テーブルで意識を失いました。

午後4時過ぎ、運ばれた病院で野村沙知代は息を引き取ります。野村克也は、

虚血性心不全、享年85。克也さんは「あっけない。こんな別れがあるのか」と茫然と語った。

野村沙知代は5年前まで、野村克也のスケジュール管理を一手に引き受け、現役でバリバリ働いていました。しかし、いつしかダブルブッキングなどが増えてしまい、以降は息子が管理を引き継いでいたそうです。

2016年に自宅で転倒して骨折した野村沙知代は歩くのがゆっくりになってしまったそうですが、それでも野村克也は「夕飯デート」を欠かさなかったといわれています。

野村沙知代が売春婦だった過去とは??

戦争が激化する中、一旦は福島に戻った野村沙知代の旧姓・伊藤家でしたが、20歳になる頃、旧姓芳江だった野村沙知代は家出をしてしまいます。数年後、やっと実家に連絡を入れた野村沙知代を迎えに行った弟信義と二番目の姉の目の前に現れたのは、

派手な洋服に、あか抜けしており、当時にはとても珍しかったマニキュアまでしていたと言う。そしていつの間にか英語まで話せるようになっていたんだと・・・

以降、弟と姉は野村沙知代に会う度に、チョコレートやコーラなどを米兵からもらったといって受け取っていたそうです。その外にも学費を援助してくれたり、普通では手に入らないものを持っていたんだそう。

野村沙知代はホテルの皿洗いで生計を立てていると話していたそうですが、

だが何度かそうして会ううちに、姉の芳江(沙知代)がホテルの皿洗いのバイトで無い事はイヤでも分かったと言う。

そんな野村沙知代はパンパンをしながら、

当時としては珍しく1957年昭和32年アメリカ軍将校として日本に来日していたユダヤ系アメリカ人のアルヴィン・エンゲルと結婚する。

何が珍しかったのか?…当時はアメリカ兵の彼女になれても、結婚までする人はとても珍しかったんだそうです。野村沙知代はこの結婚で長男のダン(野村克晃)、そして翌年には次男のケニー(野村克彦)をもうけます。

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時代がそうさせた、売春婦だった野村沙知代の奔放な人生

アメリカ兵との間に2人の息子をもうけた野村沙知代でしたが、彼女はあまり家庭を大事にしなかったと言われています。

結婚後も米兵と遊び歩いて、男の家に泊まり歩いていたと言う。

子供をほったらかしにする中、喫茶兼スナック「麻布十番」をスタートさせた野村沙知代でしたが、男の元を転々とする生活は続き、見かねた旦那は一家をアメリカへと連れていきます。

しかし野村沙知代はたった4ヶ月で帰国、そして旦那エンゲルのコネで輸入会社ディーアンドケイ(株)を設立します。

モテたそうです。米兵相手の商売で身に着けた手練手管で、狙った男を必ずモノにした沙知代。

数々の男性との噂を残しながら、最後にたどり着いたのが「野村克也」だったのです。

野村沙知代が売春婦、気にならなかったのか!?W不倫中に息子を出産

1973年には、お互いW不倫中だった野村克也との間に、息子・野村克則を出産します。お互いの離婚が成立した時、野村沙知代は自分の名前を「芳江」から「沙知代」に変更します。

この当時のW不倫も球団内でかなり問題となった。有名なのが、この時球団に『女をとるか、野球を取るか』と迫られた野村克也氏が、恐れ多くも女の沙知代を取っている

「チームはいろいろあるが、伊藤沙知代という女性は一人しかいない」

当時既に40歳を過ぎていた野村沙知代のどこにそれだけの魅力があったというのでしょうか…。結局、野村沙知代は自分が狙った通りに妻の座を射止めてしまうのです。

欲しいものは欲しいと望むモノを目指し、欲望の炎のまま突き進んで生き抜き、そして駆け上がった超絶成り上がり人生は、わがまま放題で、その悪評も挙げたらキリがない。

だけど、手にしたモノがここまで大きいとある意味アッパレなのかもしれない。

聖人君子が幸せとも限らないこの世の中。誰も褒めてくれなくても、いつも、沙知代を必要とした男達は居たのだ。

自由奔放に生きた1人の女性の最後は、高級ホテルでディナーを繰り返し、愛する旦那がそばにいた…。苦しむことなく眠るように逝った野村沙知代、彼女の最後は幸せだったに違いありません。