日本のヤバすぎる殺人鬼ベスト3を紹介。人間がやったこととは思えない・・・。

実際に日本で起きた殺人事件。

この日本で起きたとは信じられないほどの悲惨さだった。

殺した人数から、殺し方までを解説していく。


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1位、津山三十人殺し

岡山県で起きたこの殺人事件は、日本史上最大の殺人事件と言われている。

この事件は1938年5月21日に起きた。

岡山県にある小さな集落で事件は起きた。

その名の通り、30人が殺された事件である。

21歳の少年が集落に住む30人を殺したという恐ろしい事件である。

 

犯人はどんな人物なのか

犯人の名前は都井睦雄(とい むつお)である。

殺人事件を起こしたのは21歳の時だ。

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都井睦雄は、事件が起きた岡山県の集落で生まれた。

両親は肺結核で早くに亡くなっている

父親は都井睦雄が2歳のときに、母親は3歳のときに肺結核で亡くなった。

祖母がおり、祖母が都井睦雄を育てた。

 

祖母が体調が長い間優れなかったため、都井睦雄を家に居させ、小学校への入学が1年遅れた

小学校を卒業するも自身が肋膜炎を患い、回復後に実業補習学校に入学するも学業を嫌い、学校へは行かなくなっていった

このころから、同級生と絡むことは少なくなり、都井睦雄が作った子供向けの小説を村の子供達に読み聞かせ、子供たちからの人気を獲得していった。

学校から離れることにより、同世代の友人は少なくなっていったのだろう。

 

そして都井睦雄は、村の風習でもあった夜這いをして複数の女性と性的な関係を持った

夜這いとは、夜に女性が寝ているところに訪ねて行き、そこで性行為をすることである。

 

しかし、都井睦雄はそのころ、当時は不治の病であった結核にかかってしまう

そして、その結核が理由で徴兵検査にも落ちてしまう

徴兵検査に落ちるということは日本国の兵士になれないということで、当時は敗者のレッテルだったのだろうと推測される。

 

この徴兵検査に落ちたこと不治の病の結核という2つの苦しみが都井睦雄を襲い、都井睦雄の性欲がますます増していった。

そして、人妻や若い女性に近づいていき、やらせなかったら殺すと脅し、行為に及んだ

これが村中で噂となり、都井睦雄には冷ややかな目が集落中から向けられた。

文字通り、都井睦雄は村八分にされたのである。

 

大量殺人の動機は村八分にされたから

幼いころに両親が亡くなり、同年代の友達もできず、不治の病である結核を患い、そのせいで徴兵検査に落ちるという敗者のレッテルも貼られてしまった。

性欲に走るも、そのせいで村中から嫌われてしまう。

この孤独な状況のなか、都井睦雄の復讐心はどんどん募っていった。

 

そして村で歩いている時に、自分が女達に悪口を言われたということをキッカケに殺人決行を決断する。

女達に悪口を言われ、集落からは毛嫌いされ、復讐をしなければならないと宣言したのである。

 

そして、殺人の決行は真夜中に行われた

都井睦雄は最初に、自宅で寝ていた実の祖母の首を斧ではねる。

その後、たった1時間半で村の人間30人を日本刀猟銃で殺していった。

真夜中の殺人であり、村には鍵をかけるという文化がなかったため、1時間半という短時間で30人の死者が出てしまった。

その後、山の山頂にて猟銃でみずからの心臓を打ち抜き、自殺した。

 

都井睦雄が書いた遺書

都井睦雄本人が書いた実際の遺書が残されている。

その内容はこちらである。

愈愈死するにあたり一筆書置申します、

決行するにはしたが、うつべきをうたずうたいでもよいものをうった、

時のはずみで、ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、

二歳のときからの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど、後に残る不びんを考えてついああした事をおこなった、

楽に死ねる様と思ったらあまりみじめなことをした、

まことにすみません、涙、涙、ただすまぬ涙がでるばかり、

姉さんにもすまぬ、はなはだすみません、ゆるしてください、つまらぬ弟でした、

この様なことをしたから決してはかをして下されなくてもよろしい、

野にくされれば本望である、

病気四年間の社会の冷胆、圧迫にはまことに泣いた、

親族が少く愛と言うものの僕の身にとって少いにも泣いた、

社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた、

今度は強い強い人に生まれてこよう、

実際僕も不幸な人生だった、今度は幸福に生まれてこよう。 思う様にはゆかなかった、

今日決行を思いついたのは、僕と以前関係があった寺井ゆり子が貝尾に来たから、又西川良子も来たからである、

しかし寺井ゆり子は逃がした、

又寺井倉一と言う奴、実際あれを生かしたのは情けない、

ああ言うものは此の世からほうむるべきだ、

あいつは金があるからと言って未亡人でたつものばかりねらって貝尾でも彼とかんけいせぬと言うものはほとんどいない、

岸田順一もえい密猟ばかり、土地でも人気が悪い、彼等の如きも此の世からほうむるべきだ。

もはや夜明けも近づいた、死にましょう。

 

育ててもらった祖母を殺してしまったことへの後悔。

自分を見捨て、見下した集落への恨み。

実の姉への謝罪。

そんなことが遺書には書かれていた。

 

都井睦雄は自分の人生を「不幸な人生だった」と嘆いた。

両親が幼少期に亡くなってしまい、結核にかかり、村八分にされ、悲しい人生だったのかもしれない。

30人という数字は日本史上で最も多い死人数の殺人事件である。

 

2位、女子高生コンクリート詰め殺人事件

この事件は1988年に起きた。

今からたった28年前の事件である

女子高生を自宅に監禁し、41日間ものあいだ強制的な性行為・暴行を繰り返して殺した後に、

ドラム缶にコンクリート詰めにしたという残酷すぎる事件である。

 

犯人と犯行内容

事件の犯人は全員がなんと未成年だった。

6人の15歳〜18歳の少年が起こした事件だったのだ。

犯行内容は以下のとおりである。

1988年11月8日、A、B、Cの3人が午後8時過ぎ、埼玉県三郷(みさと)市内をバイクで走行中、アルバイト先から自転車に乗って帰宅する途中だった県立八潮(やしお)南高校3年生の古田順子(17歳)を見かけた。

AはCに対し、「あの女、蹴れ。あとはうまくやるから」と命じ、Cは言われた通りに、バイクで順子に近づき、左足で右腰を思いっきり蹴って、角を曲がって様子をみていた。

順子はバランスを失い、自転車に乗ったまま転倒、側溝に落ちた。そこへ、Aが近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。俺も脅された。危ないから送っていってやるよ」と言って、近くにある倉庫の暗がりでと脅し、ホテルに連れ込んで強姦した

午後10時ころ、Aは自宅に戻っていたCに電話をかけると、そこにはBの他にDがいたが、Aはこの3人を外に呼び出した。

その後、4人の少年たちは東京都足立区綾瀬のCの自宅の2階のたまり場に順子を連れ込んだ

この日、Cの父親は3日間の社員旅行で沖縄に出掛けたため、自宅には母親とCのひとつ上の兄がいた。

11月28日、Aは「いいモノを見せてやる」と言って、呼び出されたE(当時17歳)とF(当時16歳)が加わって、家人が寝静まった深夜に順子を輪姦した。順子は必死の思いで抵抗した。階下の母親は目を覚ましたようであったが、寝具などで顔面を押さえつけられたため、叫び声を上げることはできなかった。

その後、昼夜の別なく、順子の体を弄び、そのあまりの暴行に、順子が気を失うと、バケツの水に頭を漬けて気を取り戻させて、また犯すということを繰り返していた。その間、交代で見張りを続けた。

12月初めの午後4時ころ、、順子は少年たちが夜遊びで昼寝をしていた隙を見て、2階から1階の居間に降りてきて110番に電話した。だが、運悪く、近くで寝ていたAに気づかれてしまった。すぐに逆探知で警察からかかってきた電話に、Aが出て「なんでもない。間違いです」と返事した。

AとBは、このことをきっかけとして、順子に対し、手荒いリンチを加えた。殴ったり、蹴ったり、手足の甲にライターの火を押し付けたりして火傷を負わせた。また、シンナーを吸わせたり、ウィスキーや焼酎を飲ませて楽しんでいた

その後も監禁と暴行の日々は続いた。

1989年1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、自力では立てなくなりほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって殴る蹴る、足をライターオイルで焼く、鉄の棒で殴るなどのリンチを加え放置し、その結果、順子は死亡した

翌日、被害者の死亡に気づき死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。

同年3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の加害者の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。

 

世間の反応

この事件は加害者が未成年であったこと、そして犯行内容の残虐さから、社会に大きな衝撃を与えた。

特に同年代の子供を持つ親にはかなりの衝撃だったという。

 

引用:http://matome.naver.jp/odai/2135216420298176301

 

3位、井の頭公園バラバラ殺人事件

1994年4月23日に吉祥寺の井の頭公園にて発見された事件である。

4月23日、井の頭公園の清掃員がポリ袋を偶然開いたことで発見された。

なんと手足や胴体が27個に分解された死体が発見されたのだという。

 

井の頭公園の池の周囲にあるゴミ箱に点々と捨てられていたという。

いずれも半透明のビニール袋に入れられていた。

しかし、27個のパーツはすべてを合わせても人間の体の3分の1にも満たなかったという。

つまり、おそらく100個近くに分解されたものが存在していたということが予想される。

そして、見つからなかったパーツはもう既に捨てられてしまったということである。

 

被害者の男性について

被害者である男性は、指紋なども消されてしまっており、血も一滴残らず抜き取られてしまっていたので、特定が難しかった。

しかし、わずかに残っていたDNAと指紋のデータから井の頭公園の近くに住む35歳の一級建築士の男性が被害者だということがわかった。

昇進祝いで同僚と飲んでカラオケに行ってから行方不明となっており、妻が捜索届けを出していたそうだ。

 


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まとめ

以上が、日本で起きた悲惨な殺人事件である。

その中にはまだ犯人が見つかっていない未解決のものもあった。

この事件のように、警察や世間に知られていないだけで、本当はもっと残虐な事件が日本で起こっているのかもしれない。