日本のヤバすぎる殺人鬼ベスト3を紹介。人間がやったこととは思えない・・・。

恐怖


夜這いとは、夜に女性が寝ているところに訪ねて行き、そこで性行為をすることである。

 

しかし、都井睦雄はそのころ、当時は不治の病であった結核にかかってしまう

そして、その結核が理由で徴兵検査にも落ちてしまう

徴兵検査に落ちるということは日本国の兵士になれないということで、当時は敗者のレッテルだったのだろうと推測される。

 

この徴兵検査に落ちたこと不治の病の結核という2つの苦しみが都井睦雄を襲い、都井睦雄の性欲がますます増していった。

そして、人妻や若い女性に近づいていき、やらせなかったら殺すと脅し、行為に及んだ

これが村中で噂となり、都井睦雄には冷ややかな目が集落中から向けられた。

文字通り、都井睦雄は村八分にされたのである。

 

大量殺人の動機は村八分にされたから

幼いころに両親が亡くなり、同年代の友達もできず、不治の病である結核を患い、そのせいで徴兵検査に落ちるという敗者のレッテルも貼られてしまった。

性欲に走るも、そのせいで村中から嫌われてしまう。

この孤独な状況のなか、都井睦雄の復讐心はどんどん募っていった。

 

そして村で歩いている時に、自分が女達に悪口を言われたということをキッカケに殺人決行を決断する。

女達に悪口を言われ、集落からは毛嫌いされ、復讐をしなければならないと宣言したのである。

 

そして、殺人の決行は真夜中に行われた

都井睦雄は最初に、自宅で寝ていた実の祖母の首を斧ではねる。

その後、たった1時間半で村の人間30人を日本刀猟銃で殺していった。

真夜中の殺人であり、村には鍵をかけるという文化がなかったため、1時間半という短時間で30人の死者が出てしまった。

その後、山の山頂にて猟銃でみずからの心臓を打ち抜き、自殺した。

 

都井睦雄が書いた遺書

都井睦雄本人が書いた実際の遺書が残されている。

その内容はこちらである。

愈愈死するにあたり一筆書置申します、

決行するにはしたが、うつべきをうたずうたいでもよいものをうった、

時のはずみで、ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、

二歳のときからの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど、後に残る不びんを考えてついああした事をおこなった、

楽に死ねる様と思ったらあまりみじめなことをした、

まことにすみません、涙、涙、ただすまぬ涙がでるばかり、

姉さんにもすまぬ、はなはだすみません、ゆるしてください、つまらぬ弟でした、

この様なことをしたから決してはかをして下されなくてもよろしい、

野にくされれば本望である、

病気四年間の社会の冷胆、圧迫にはまことに泣いた、

親族が少く愛と言うものの僕の身にとって少いにも泣いた、

社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた、

今度は強い強い人に生まれてこよう、

実際僕も不幸な人生だった、今度は幸福に生まれてこよう。 思う様にはゆかなかった、

今日決行を思いついたのは、僕と以前関係があった寺井ゆり子が貝尾に来たから、又西川良子も来たからである、

しかし寺井ゆり子は逃がした、

又寺井倉一と言う奴、実際あれを生かしたのは情けない、

ああ言うものは此の世からほうむるべきだ、

あいつは金があるからと言って未亡人でたつものばかりねらって貝尾でも彼とかんけいせぬと言うものはほとんどいない、

岸田順一もえい密猟ばかり、土地でも人気が悪い、彼等の如きも此の世からほうむるべきだ。

もはや夜明けも近づいた、死にましょう。

 

育ててもらった祖母を殺してしまったことへの後悔。

自分を見捨て、見下した集落への恨み。

実の姉への謝罪。

そんなことが遺書には書かれていた。

 

都井睦雄は自分の人生を「不幸な人生だった」と嘆いた。

両親が幼少期に亡くなってしまい、結核にかかり、村八分にされ、悲しい人生だったのかもしれない。

30人という数字は日本史上で最も多い死人数の殺人事件である。

 

2位、女子高生コンクリート詰め殺人事件

この事件は1988年に起きた。

今からたった28年前の事件である

女子高生を自宅に監禁し、41日間ものあいだ強制的な性行為・暴行を繰り返して殺した後に、

ドラム缶にコンクリート詰めにしたという残酷すぎる事件である。


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