ZARD坂井泉水の素顔と、知られざる40年の真実が明らかに。

音楽界を席巻した「ZARD」のボーカル、坂井泉水さん

華々しい功績とは裏腹に、

メディアの露出が極端に少なかった“歌姫”。

その知られざる素顔に迫ってみた。


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ZARDになる前の坂井泉水

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坂井さんは1967年2月、神奈川県平塚市で生まれています。

彼女のプロフィルは公表されることはなかったですが、

「ZARD」としてデビューする前、彼女は本名の蒲池幸子として、

タレント活動をしていました。当時のプロフィルは「1969年2月生まれ」でした。

 

「控えめな性格でしたが、天然ボケのところがあってマイペースな子でした。

本名から『サッチ』と呼ばれていました。

歌手の大沢誉志幸の曲『そして僕は途方に暮れる』が好きで、

よくノートに歌詞を書いていました。

授業中にも書いていたんですが、

先生が近くに来たのに彼女はまったく気がつかず、

先生に教科書で頭をポカンとたたかれていました」(高校時代の親友)

 

スポーツも万能で高校時代は硬式テニス部に所属。

校内のミスコンで優勝し、他校の男子生徒がのぞきにくるほど、

彼女の評判は広まっていたといいます。

 

3年生に進級すると、坂井さんはバンド活動に強い関心を示し、

周囲の友人に「テニス部も夏で引退するし、バンドを組みたいな

と漏らしていたようです。

「バンドを組んでいる同級生に、彼女は

『バンドに参加したい』と頼んでいました。

本人はかなり熱心でしたが、どのバンドにも空きがなく、

実現しませんでした」(元同級生の男性)

坂井さんは高校卒業後、神奈川県内の短大に進学。OL生活を経て芸能界入りします。

といっても、そこは歌手とは畑違いのキャンペーンガールの世界。

89年には「東映カラオケクイーン」、

翌年はレースクイーンとして活動しましたが、

音楽への情熱はますます高まっていたようです。

 

 

デビューのきっかけ

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B.B.クィーンズのコーラス・メンバーを決めるオーディションに行った時に

彼女の才能に目を付けたのが、

人気バンド「TUBE」や「B’z」などを手掛けた音楽プロデューサー、

長戸大幸氏です。以後、坂井さんは、

長戸氏の音楽事務所「ビーイング」に所属することになります。

 

この時のオーディションには落ちてしますのですが、

フジテレビ現社長の亀山千広さん(当時はドラマのプロデューサー)から

ブロンディのような女性ボーカルのバンドを作らないか、という話があり、

坂井を中心にしてバンドを組むことになりました。

そして亀山さんがプロデュースをしていたドラマ「結婚の理想と現実」の

主題歌「Good-bye My Loneliness」でデビューしました。

 

ちなみにZARDという言葉は造語なのですが、

Lezard(とかげ)、 Hazard(危険)、Blizzard(吹雪)、Wizard(魔法使い)など、

どちらかというと忌み嫌われるような言葉に接尾辞のようにくっ付いているので、

そういうどこかマイナス的なイメージでもあり、

ロックの持つ退廃的でどこか反体制で暴力的なところに繋がっています。

こういうところにも意味が込められていたみたいですね。

 


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隠された美貌

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当初からずっと髪型を変えず、流行を意識しない服装、

メイクも薄く、ピアスもイアリングも出来るだけ付けず、

部屋着のような服装にして、親近感を持たせようと

音楽プロデューサーの長戸さんは考えたようです。

セクシーでスタイルも良く美人だったので、女性を敵に回したくなかった。

不細工でもなく美人でもない写真を選ぶのに苦労した記憶があります。

亡くなってから、綺麗な写真やセクシーな写真も出していったので、

「ああこんなに綺麗な人だったのか」と思った人が多いんじゃないですか。

 

「当時は無名の歌手でしたが、『夜の番組で私の歌が使われるの』と喜んでいました。

つやのある長い黒髪がきれいで、芸能人というよりは超美人のOLといった印象でした。

芸能人であることを隠そうとして、だてメガネをかけていましたけど、

レンズが入っていないので逆に目立っていました」(知人の美容師)

 

また、プロモーションビデオ(PV)を巡ってはこんな話もあります。

坂井泉水さんが残したPVを見ると、

彼女の横顔やうつむき加減の映像が圧倒的に多いことに気づかされます。

 

PV制作は通常、シナリオに沿って

アーティストが演技をして作品を完成させていくのが一般的ですが、

作りこんだ映像よりも自然体の彼女のほうが魅力的だった坂井さんは

レコーディングや何げない日常の風景を撮るために、

片隅で長時間カメラを回しました。

このため、自然と横向きの映像が多かったのです。

本人もそういった映像を気に入っていたようです。

 

 

メディア露出が少なかったのは?

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ZARDといえば、メディアに出ることがほとんどなかったのでも知られています。

ファンの前に初めて生の姿を見せたのは、デビューから8年後の99年8月。

アルバム購入者を対象にした、クルーズ客船でのライブでした。

 

坂井さんのように、メディア露出を控えることで“価値”を向上させ、

タイアップを駆使する戦略は、

当時、音楽業界で「ビーイング商法」と呼ばれていました。

この戦略は、歌と私生活を大切にしたいという坂井さんの志向と重なり合っていたようです。

彼女は『きれい』とか、『美人』と言われるのが嫌で、

歌番組の共演者に『きれいな人』と何度も言われて、

テレビ嫌いになったという話も、とても有名ですよね。

 

しかし、実際は神秘的を狙ったということでもないようです。

92年8月から93年2月にかけて、3曲のシングルで音楽番組に7回出演。

しかし出演の時に体調不良になってしまい(もともと体調は良くなかった)、

かといってこちらで希望日をいうようなことも出来ないし、

生番組が多かったので、テレビ出演をお断りするようになってしまいました。

それにトークが苦手で、またレコーディングを重視したいという本人の意向もありました。

そのまま制作してリリースを重ねていたら、

今度はライブをやるタイミングを失ってしまい、

結果として人前に出ることが少なくなってしまったようです。

彼女の横顔のジャケットと音楽だけが出て行ったので、

結果として余計に神秘的なイメージが先行してしまったようですね。

 

 

 

謎すぎる死因

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坂井泉水さんが亡くなったのは2007年5月27日。

わずか40歳という若すぎる命がこの世を去った時は、

日本中のファンが悲しみました。

 

 

坂井さんは2007年5月26日午前5時42分ごろ、

東京・信濃町の慶応義塾大学病院の非常階段付近で

大量の血を流して倒れているところを発見されました。

スロープ状になっている高さ約3メートルの地点から

転落して後頭部を強打したとみられ、

発見後、救急病棟に運ばれたましたが、

翌27日の午後3時すぎに脳挫傷のために死亡しました。

 

手すり部分には手の跡が残っていて、

腰を掛けていてそのまま後方に転落したとの見方が有力でした。

警視庁四谷署では当時、事故と自殺の両面で捜査していたようです。

 

坂井さんは06年6月に子宮頸がんを患い、

全摘出手術を受けて回復の兆しを見せていました。

ですが、肺への転移が見つかり、

07年4月から入退院を繰り返していました。

事故現場の非常階段は、日課としていた散歩のコースだったようです。

 

亡くなった年の秋には、

アルバムの発売とライブツアーを行う計画があった坂井さん。

闘病中も病床で詩を書き続けていたようですが、

真相は謎に包まれたままです。

 

しかし、彼女が残してくれた最高の音楽は

これからも聴く人の心で生き続けるでしょう。


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